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play ground

すきなことを すきなだけ

その人の足跡を追うのは恋だ

整体に行くと好転反応とやらでとても眠くなるから、行く日は午前中に行って帰ってきてそのまま眠っていいスケジュールを組む。

今日は、帰ってきたらコーチェラの配信がやっていたので、うつらうつらしながら見て、いつの間にか眠っていた。窓は開けっ放しでも、そよそよと風が通るだけで寒くないし、本当にいい季節。この季節と秋の入り口が一番好きだ。

 

 

twitterで、「好きな音楽家のルーツを掘らない人」に話が出ていて、この手の話はもうだいぶし尽くしてきた感じがするけど、とりあえずは世代間格差なのかもしれない、ということに落ち着かせている。

私 は古い人間で、多感だった中学高校時代に今みたいに音楽の配信サイトや動画配信サイトなんてものはなく、家が裕福でもなかったからMTVなんてものも見ら れず、雑誌で好きなアーティストの製作話を読み漁り、深夜番組で少しでもMVが流れれば歓喜した。そのうちようやくインターネットが普及し始めて(ほら、 時代を感じ始めてきただろう?)それでもまだサイトが発達していなかったから、詳しい情報を得るのにどれくらい苦労したか。東京や大阪の人たちのBBSへ の書き込みを頼りに、こんなことがあったんだと想像して、深夜ラジオを聴きながら眠るのが関の山だった。だから、少しの情報から音楽の宝の山を掘るのに必 死だった。

今は、肌身離さず持ち歩いている機械で気になった瞬間にその音楽が聴ける恵まれた時代にも関わらず、与えられたもの、主にマスメ ディアがお金をかけて打つ広告によって売り上げが決まり、それが評価になる。与えられたものさえ享受していれば満足する人が多くなったのは確かだと思う。

与えられるものが多すぎて探す必要なんてないんだろうか。選択肢が多くなりすぎたのだろうか。楽に楽しみたいのだろうか。爪の間を真っ黒にしてまで、鉱脈を探して掘ってきた私には正直よくわからない。

 

 年齢を重ね色々なことを知るにつれて「真新しいものなんて存在しない」ということに気づかされる日々だ。先人の知識、発見、創作、それらの上にまた「新たに生み出した、と思い込んでいるもの」は成り立っている。

オ リジナリティ、とか、今まで見たことがない、とか、独自性、とかを音楽でもなんでも持て囃す風潮があるけれど、そんなものはない。音楽に関して言えば、極 端に言えば、だが、生まれたての何も学んでいない赤子に音の鳴るものを渡して奏でた奇跡的な音、くらいしか本当の意味で真新しいとはならないのではないだ ろうか。人間が形作られていったいどれくらい経つと思っている。だから、今更新しさを得意げに見せつけられても恥ずかしいだけだと、私は思っている。

ルーツの上に成り立っていることを認識しているかどうかで世界はだいぶ変わる。感化されて、今があって、これから先も何かに触れてまた変わる。それがまたこの先を作っていく。

ルーツを感じさせるものが今に繋がる素晴らしさを感じて欲しいし、好きになった人が辿ってきた道を一つづつ追いかけるのもまた、恋のようで楽しい。

だから、そのワクワクして、ドキドキする感触を。老婆心ながらこれからたくさんの音楽にまみれていく若い子たちに感じて欲しいと願っている。

 

 

music:YUMEGIWA LAST BOY  super car