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play ground

すきなことを すきなだけ

春の歌を聴きに

ようやく冬の間お世話になり続けたガスストーブをしまって、ついに春がきたのを実感。そのついでに、髪を切りに行って久々にだいぶ短くした。

髪を切っている間に、とても嬉しいメールなども届いていて、忙しなくも楽しい春をのんびりと過ごしている。

3月まではどうにも時間が取れず、見たい映画、ドラマも読みたい本も後回しにしていたが、それをようやく消化し始める。ジャイキリの新刊なんて買ってすぐに読めなくて、ようやく読んで今更のように「最高だった…」と思っている始末。読みたい本はたくさんあるけれど、どう計算しても時間がない。いや、あるんだ。あるんだけどうまく使えてないんだ。いつも反省しては忘れている。また反省。

 

先日、映画3月のライオンを見に行く。

先に言っておくと、私はほとほと「隣人運」がなく、映画館に行けば、1時間以上ずっとポップコーンを食べ続け、静かなシーンでもバリバリ音を出す人の隣に当たってしまうし、ライブに行けばアンビエントセッティングなのに、ずっと面白くない話をでかい声でし続ける人に当たってしまう。本当にびっくりするほど運がない。周りの人にもそういう輩を引き寄せてしまうのでは、と言われ、自分自身そんな人に迷惑をかけるスタンド使いではないはずなのに。ひどい。

今回も、お察しの通りまんまとそれに当たってしまい、途中まで気を削がれながらの鑑賞になったのが非常に残念ではあったが、(もうポップコーン売るのやめてほしいよ、映画館)内容は、よくぞここまで纏めきったなという印象。

2時間半では収まらないであろう分量を、物語の核だけ残してうまくつないだ脚本と編集はお見事。原作が大好きなので、不安な部分も正直あったのだが、ちゃんと脳内で補完をしつつ見ることができた。

そして、なんと言っても主人公の住む部屋のベランダから見える景色が素晴らしい。川の見える景色というのが重要なことで、他にも学校の屋上とか川本家とか。家だったり景色だったり、その人物の暮らしが見える部分や生き方を表した場所に手を抜いていないところが非常に良かった。

その人物の心理描写ももちろん大切だが、私はその人を取り巻くものから人物像がかいま見えるのが好きだ。服一つ、靴一つにしてもそう。選ぶものはどういうもので、どういう価格帯のものか。アクセサリーや時計はしているのか、乗っている車があれば、重要視している機能はここだろう、とか。普段でも、人の履いている靴はよく見てしまう。靴は人がよく出ると思う。スニーカーにしても、ナイキを選ぶ人とアディダスを選ぶ人では全く印象が違う。だから、人物を取り巻くものへの細かい設定を怠らないでいてくれたのは嬉しかった。

今回は訳あって招待券を頂いてしまったので、次はちゃんとお金を払って見に行こうと思う。

 

評価すべき作品には正当な対価を。ここ最近、大人になって心がけていることだ。芸術作品への投資は、今ネット上で何でも見られる世の中において希薄になっているのを感じるが、だからこそ。自分が大切にしたいものには惜しみなくお金を払いたい。とここ最近よく友人と話している。

大切なものは、永遠にその場に留まってくれる訳ではない。

だからこそ、できる時にできることを。

 

music:Ruby,My Dear    Thelonious Monk

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その人の足跡を追うのは恋だ

整体に行くと好転反応とやらでとても眠くなるから、行く日は午前中に行って帰ってきてそのまま眠っていいスケジュールを組む。

今日は、帰ってきたらコーチェラの配信がやっていたので、うつらうつらしながら見て、いつの間にか眠っていた。窓は開けっ放しでも、そよそよと風が通るだけで寒くないし、本当にいい季節。この季節と秋の入り口が一番好きだ。

 

 

twitterで、「好きな音楽家のルーツを掘らない人」に話が出ていて、この手の話はもうだいぶし尽くしてきた感じがするけど、とりあえずは世代間格差なのかもしれない、ということに落ち着かせている。

私 は古い人間で、多感だった中学高校時代に今みたいに音楽の配信サイトや動画配信サイトなんてものはなく、家が裕福でもなかったからMTVなんてものも見ら れず、雑誌で好きなアーティストの製作話を読み漁り、深夜番組で少しでもMVが流れれば歓喜した。そのうちようやくインターネットが普及し始めて(ほら、 時代を感じ始めてきただろう?)それでもまだサイトが発達していなかったから、詳しい情報を得るのにどれくらい苦労したか。東京や大阪の人たちのBBSへ の書き込みを頼りに、こんなことがあったんだと想像して、深夜ラジオを聴きながら眠るのが関の山だった。だから、少しの情報から音楽の宝の山を掘るのに必 死だった。

今は、肌身離さず持ち歩いている機械で気になった瞬間にその音楽が聴ける恵まれた時代にも関わらず、与えられたもの、主にマスメ ディアがお金をかけて打つ広告によって売り上げが決まり、それが評価になる。与えられたものさえ享受していれば満足する人が多くなったのは確かだと思う。

与えられるものが多すぎて探す必要なんてないんだろうか。選択肢が多くなりすぎたのだろうか。楽に楽しみたいのだろうか。爪の間を真っ黒にしてまで、鉱脈を探して掘ってきた私には正直よくわからない。

 

 年齢を重ね色々なことを知るにつれて「真新しいものなんて存在しない」ということに気づかされる日々だ。先人の知識、発見、創作、それらの上にまた「新たに生み出した、と思い込んでいるもの」は成り立っている。

オ リジナリティ、とか、今まで見たことがない、とか、独自性、とかを音楽でもなんでも持て囃す風潮があるけれど、そんなものはない。音楽に関して言えば、極 端に言えば、だが、生まれたての何も学んでいない赤子に音の鳴るものを渡して奏でた奇跡的な音、くらいしか本当の意味で真新しいとはならないのではないだ ろうか。人間が形作られていったいどれくらい経つと思っている。だから、今更新しさを得意げに見せつけられても恥ずかしいだけだと、私は思っている。

ルーツの上に成り立っていることを認識しているかどうかで世界はだいぶ変わる。感化されて、今があって、これから先も何かに触れてまた変わる。それがまたこの先を作っていく。

ルーツを感じさせるものが今に繋がる素晴らしさを感じて欲しいし、好きになった人が辿ってきた道を一つづつ追いかけるのもまた、恋のようで楽しい。

だから、そのワクワクして、ドキドキする感触を。老婆心ながらこれからたくさんの音楽にまみれていく若い子たちに感じて欲しいと願っている。

 

 

music:YUMEGIWA LAST BOY  super car